No.51 事務所解散!
こんにちは。店主です。
このコーナーでは、私が「へそまがり美容師」になるまでの
紆余曲折などを綴っています。
興味のある方はお暇な時にでも読んでみてくださいね。
(そういうのいいや・・・って方は遠慮なくスルーしてください。)
最初から読みたくなった方は「もくじ」からどうぞ。

最近、本筋から外れてばかりですみません。
番外編 からのつづきです。
ヘアーメイクをしていた頃の記憶は
いまだに思い出せないことが多くて・・・
あんなになりたくて なった仕事なのにね(笑)
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さて、バブルがはじける一年とちょっと前、
1989年10月ごろ、
それまで所属させてもらっていた
(クリエーターオフィス的な)事務所が 突然「解散」
することになりました。
実は、少し前から他の仲間同士の間に
微妙な空気が流れていたのは気づいていました。
違う事務所に行くとか 独立するとか・・・。
そもそも事務所と言っても「フリー」の人が集まっていた
だけだったので、あり得る話です。
そんな、
突然に降って湧いて出た「解散」により、
私はまた一人になりました。
とくに仕事の内容は変わりません。
ただ、仕事の「窓口」だった事務所がなくなったので
自宅 = 事務所 に変わりました。
これを機会に「FAX」を買いました。
(正確に言うとリースでしたが・・・
当時はびっくりするくらい高価だったのですよ)
仕事の連絡も
「留守番電話」を使ってのやり取りに変わりました。
留守電にメッセージを入れてもらい、
聞いてすぐに折り返す・・・その繰り返し。
(しつこいですが、当時は携帯電話も高価で
持つことなど無理でしたから)
当時は、出先で公衆電話から
「遠隔操作」で録音メッセージを聞く作業をよくしていました。
なんだか時代を感じますが(笑)
でも、それが私の「生命線」でしたからね、
一日100円ほど使ってたかな?(3分10円の頃です)
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その頃から、
私の心は 何かに駆り立てられ 蝕まれ始めます。
事務所にいた頃は、
誰かが事務所にいて電話を取ってくれることも多かったし、
留守電に私宛のメッセージが入っていたとしても、
誰かが聞いて連絡してくれたけど、
すべて一人でやるとなると、結構大変です。
「もしかしたら、依頼が入ってるんじゃないか?」
出先からの「遠隔操作」は日常です。
仕事が無い日でも、電話が入るかもしれないから
ヒマでも電話の傍を離れることができない・・・
追い込まれてますね(笑)
ちょうどその頃
仕事もお試し期間的なものが過ぎてしまったようで、
「ギャラ」は高くなったけれど、仕事量は減っていました。
収支に変わりはないのですが、
心の底での不安は仕事量でした。
自分は根っから「暇」が嫌いなのでしょうね・・・
これを書くようになって、自分が良く分かるようになりました(笑)
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ただ、自分の不安をよそに
結構大きな仕事も入ってきました。
今思えば、脂が乗ってきた時期だったのでしょうね、
(まだ25歳でしたが)場数を踏んできたことが
強みになったのかもしれません。
・・・でも、いくら仕事をしても
「いつか仕事が途切れるかもしれない・・・」
という不安は決して消えることはありませんでした。
その次の年、1990年。私は結婚しました。
つづく
この頃「東京サマーランド」の仕事を
何本かやらせていただきました。
February.06.2015