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エピソード・ゼロ 5

Posted by Cafe Bleu on   0 

こんにちは。店主です。エピソード・ゼロ 4からのつづきです。

美容と全く関係ない単なる昔話なので、そういうのいいや・・・
って方は「マジで」スルーしてくださいね。
最初から読みたくなった方は もくじ からどうぞ。



<おデブ人生のはじまり>

小学校3年生になった冬、その事件が起こりました。                 

その冬は特に寒かったのですが、その日の寒さは格別でした。
いつものようにバスで家に帰り、家の手伝いをしてご飯を食べると、

その日はなぜか無性に眠たくて、
居間の隅で寝てしまいました。


母親に起こされると既に10時を過ぎていて、
怒られるように「風呂に入りなさい!」と言われるがまま
テーブルを乗り越え、風呂に向かおうとしたその時です・・・

ガッシャーン・ジャー・ボゥ・・・

と、凄い音とともに私の体に変化が訪れるのです。


「あっ・・・痛い!   熱い・・・痛い!」


前にも書きましたが、
冬になると家では一晩中ストーブを焚いていたのですが、
その上には必ず「やかん」か「鍋」が乗っています。

私はいつも通っている「隙間」を抜けたつもりでしたが、
眠気のほうが勝っていたらしく 動きが狂い、
ストーブに乗っていた「やかん」を引っかけて落としてしまったのです。

そう、煮立ったお湯いっぱいの「やかん」が
私の左足めがけて落ちてきました。

左足の膝から下は見るも無残な姿。

一瞬で腫れ上がり、
まるで深海魚が船に引き上げられたような状態でした。


熱いのか? 痛いのか?


どちらでも無いし、どちらでも有る。
もう叫ぶしかありませんでした。

とにかく冷やせと言われるがまま、氷で冷やしても
一向に痛みは消えないし腫れるばかり。

急いで病院に向かいました。

実は、お店をやっていた向かい側が外科、隣が内科
という病院に囲まれた立地でしたので、
病院には困らなかったのですが、

今回の火傷は「別物」でした。

医者に見せるや否や、先生が開口一番言った言葉。


「うちでは無理かも・・・」


子供ながらに、その言葉は衝撃でした。


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実際その後、本当に「無理」だったという事実を知ります。

腫れあがった部分から水を抜くだけで三日も掛かりました。
そして毎日包帯を巻く。

当時、当たり前のことのようにしていた事なのですが、
それが裏目に出ます。

ええ、やんちゃ盛りの子供が毎日動かないわけがありません。

4日目には、皮膚がめくれ上がり、溶けるかのようにずれ落ちました。
5日目には、組織液が流れ落ちるほどになり、皮膚は原形をとどめなくなりました。
6日目は、病院がお休みだったので休診。
7日目が来た時には・・・肉がめくれ上がり、骨が見えたことをおぼえてえています。


そこから、県内唯一の専門病院を紹介され、
そこまで電車で向かうのでした・・・


皆様にとって「電車」は身近なものでしょうが、
その当時 電車に乗るということは「とても遠いところ」に行く
ということと同じ意味でした。

その後、本当に遠いところまで 毎日通う羽目になるのです。

当時私は小学生3年生。
実はそこから3~4ヶ月もの間、学校を休むことになるのです。


その病院に行くと、
「もうちょっと早く来れば表面は何とかなったのですがね・・・」

オイ、それ子供の前で言うか?

診察の結果、

私のやけどは相当酷かったようで、
1~5の段階で4~5レベルだったそうです。

幸いにも火傷の面積が広くなかったので、皮膚呼吸の問題は
免れたようです。

それでも、痛みは毎日辛くって、
痛みでぜんぜん眠れない状態だったので
「睡眠薬」で無理やり眠らされていました。

動くことが制限されるのは、
小学生の私にとって何よりも不自由でしたが、
「骨が・・・」という衝撃もあって、自分でもかなり我慢していました。

でも、暇で暇で仕方ない。

毎朝10時発くらいの電車に乗って
病院に向かっていたのだと記憶していますが、

それまでの時間TVを観て、
病院から帰ってきては またTVを観て、
とにかくTVを一番観ていた頃です(笑)

この文面から、痛みは感じませんよね・・・?

でも、この「松葉づえ」生活は1年続くのです。


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そして3か月もすると、

母の付き添いも 家族の付き添いもなく、
一人で電車に乗って病院まで行くことになりました。

その当時のホームのつくりは
階段を上らないと下り路線に乗れなかったので、
3か月も経つと駅員さんとも仲良しになって、

ある日から 階段を使わないで線路を横断する
という離れ業をして貰えるようになっていました。

とにかく松葉づえでの階段はとても怖く、
雨の日などは滑って転んだことも度々ありました。

そのために「手首」を捻挫してしまい、
それこそ動けなくなってしまいました。

子供なのに全く動かない。
毎日家でゴロゴロしてTVを観る生活。

ええ、確実に 太る生活 ですよね(笑)


3か月くらい経つと皮膚は塞がり、
何とか人並みの足の様になってきましたが、

それでも痛みや皮膚のズレを感じ、力を入れるのが怖い…

そこから更に3か月、

あの日から半年かけて、
やっと普通に学校に通えるようになりました。


あれから約40年、
もちろん いまだにその痕はあります。

ただ、骨が見えるほど酷い火傷だった…というと
ウソに聞こえる程度まで消えましたが、

あいかわらずそこだけ皮膚が薄いままだったりします。


・・・なんだか火傷ネタばかりですみませんです。
なぜか足の怪我ばかりしてる人生なんですよね~(笑)



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やっと火傷を気にせず海に入れるようになった頃かな?

どこかのエリートお相撲さん一家の子の 幼少の頃みたいですよね(笑)

数ヶ月間、安静という名の「食っちゃ寝」を続けたおかげで
火傷は治りましたが同時に私の「おデブ」人生が始まりました(笑)

そーいや、この帽子 気に入っていつも被ってたんですよね。
(昔から目立ちたがり屋だったのかも?)
                                  つづく 

                                August.13.2014 店主

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