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エピソード・ゼロ 7

Posted by Cafe Bleu on   0 


こんにちは。店主です。エピソード・ゼロ 6からのつづきです。

美容と全く関係ない単なる昔話なので、そういうのいいや・・・
って方は「マジで」スルーしてくださいね。

最初から読みたくなった方は もくじ からどうぞ。



< 家事メンになったわけ >
                          
私が中学に入学する頃、
一番上の兄貴が「東京」の学校に行くために家を出ました。

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相変わらず同じことを書きますが、

実は東京ではなく「千葉」だったのですが、
田舎者の私にとって、同じ方角なら「東京」となりますので
まあ気にしないでください(笑)
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そう、一人抜けです。
そうなると、二番目の兄貴の「天下」です。


長い間、
一番上の兄貴に子分二人は従うしかありませんでしたが、

目の上のたんこぶが消えた後は
「二番目の兄貴の天下」なのです。

言うまでもなく私は「一番下っ端」です。
命令されるがままに動かないとパンチが飛んでくるので、
イヤイヤでも従うしかありません。

3人が2人に減ったので、おのずと仕事が増えます(笑)

その頃 兄貴は高校2年生。
高2と中1じゃ 体格的に敵うはずもないのですが、
負けず嫌いな私はそれでも向かって行くので

よく殴られました。 ほんとによく殴られました。

だって 仕事量が間違いなく公平ではないのだから、
そりゃ~怒りますよ。

一番後に生まれたというだけでこの「理不尽」。

まあ、それがこの世の中の常なのだと、
理解するキッカケにもなりましたが(笑)

風呂掃除に、犬の世話、食事の準備、片付け、部屋の掃除・・・

間違いなく多いでしょう?
これじゃあ勉強する暇などないですよ。

ま、やりたくなかったから丁度良かったのかもしれませんけどね(笑)

(どーでも良いことですが、一番上の兄と二番目の兄とは2歳違い。
2番目の兄貴の「天下」はたったの2年で終わるのです(笑))


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さて、中学に入ると部活も始まり、
私は「陸上競技部」に入部したのですが、

実はそれは2番目の兄貴の影響でもあります。

当時 兄貴も高校で陸上部でした。
兄貴は決して足が速いほうではなかったのですが、

だからかもしれませんね、
よく「ロード練習」をやっていて、私も自転車に乗って付き合いました。

夕方 5~6kmを走って 大そう満足していましたが、
今考えると、コースや所要時間を考えても、
あれはいいとこ2~3kmでしたかね(笑)

そんな付き合いをしているうちに、
なんとなく「陸上部」というものに興味を持ち、

迷わず自分も陸上部に入ってしまいました。


ただし・・・

私は以前にも書きましたが、
小学校のころ「火傷」で動くことができない
時間が長かったせいもあって、

体系的には全く「陸上部」向きではなかったのです(笑)

すっかり小デブになってしまった私は
「走る」ということ全般が とにかく苦手でした。

徒競争で勝ったこともないし、
ましてやリレーのメンバーに選ばれることなど 全く無縁の世界。  

長く走る「持久走」など大嫌いなことの一つでした。

何のために「陸上部」に入ったのか?
全く意味不明ですよね(笑)

それでも
来る日も、来る日も 、
毎日走らされるわけですよ。

今考えれば、当たり前の事ですけどね。


だって陸上部ですから!(爆笑)


とにかく1年生当時は何をやってもダメダメで、
出場できるような種目もなく、

何のためにやっているのか分からない練習は
苦痛でしかありませんでした。

…それでも辞めずに走りましたが。

おかげで、

体育祭の徒競走はビリではなく
順位が付くようにはなってきました。
 
それでも6人中4位か3位(笑)。
組み合わせにもよりますがね・・・

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・・・あれは2年の新人戦の前だったでしょうか?

先生から「砲丸投げ に出てみなさい!」と、
半ば強制的に出場させられたのが始まりでした。

あいまいな記憶ですが、
初めて出た新人戦で確か「入賞」したはずです。

「そうか、これなら俺でも出来るかも?」

と、いい気になったのが
「砲丸投げ」に のめり込んだキッカケです(笑)


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実は・・・
その頃、クラス選抜で
「応援団」 なるものに選抜されました。

(ただ単に体格が”それ風”だったという理由で選ばれたらしい。)

週一回は その応援団の練習に出なければいけないため、
その日の部活はできませんでした。

というより、部活の練習が出来ないくらいに
「応援団」の練習は過酷なものでした。

発声練習から始まり、腕上げ30分×4セット!

両腕を胸の高さで左右に開いてそのまま30分。
そして次は、前に水平にあげて30分。
次は、45度の角度に挙げて30分。
それから、また水平に開いて30分。

これが想像以上にキツい。
(最近、ドラマでそんなのやってますよね、あんな感じです)

部活の練習を潰してまで、
この「応援団」の練習を

週一日はやらなければいけなかったのですが、

逆にそれが良かったのか、
筋力がみるみる付き、
体系的にも少しほっそりしてきました。 

そうなれば自然と「走力」も少しマシになってきます。
その頃には徒競争でも3位以内に入れるようになっていました。

どうも、筋力というより「底力」が付いたみたいです。

友達3人おぶって歩くのも軽く出来るし、
ジャンプ力も人に勝るようになってきました。 

こうやって私は、おデブの領域からだんだん離れていったのです。

ま~言い換えれば

「動けるデブ」に昇格した だけですが(笑)


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その上で、家に帰ると
兄貴から回された あの理不尽な仕事量です。

そりゃ~体力も忍耐力もついて当然!(笑)


私の中学の時の苦労話 もっと聞きたいですか?

実は私の中学、
「お弁当」持参だったのですが、これまたキツイのです・・・

どういうことだって?

家計を支える母親は仕事一筋な人で、
家庭の仕事をあまりしていなかった様子は
たびたび書きましたが、

当然「お弁当」など作ってくれません。

毎日あんなに疲れている様子を見ていたら、
とてもそんなことは頼めません…

私は中学に上がると同時に料理を覚え、
自ら弁当を作って学校に行っていました。

もちろん毎日ですよ。
土曜日も授業があった時代なので、
もちろん土曜もです。

それなのに、部屋とYシャツと私…いや(笑)

部活と
応援団と
家事全般(字余り)

中学生にはキツい毎日ですよね。

友達と遊ぶ暇さえないのに、
その頃ギターにハマりまくり、
合間にギターの練習なんてしてたもんだから、

当然 勉強などするわけありません(笑)

ま~キツいながらも、
自分なりの「ガス抜き」がちゃんと出来ていたのでしょうね。

(勉強をサボるのは 真っ当なガス抜きではないけれど…)


文字に書くと「ザ・悲惨」な少年時代に思えますが、
当時経験した色んな事が
その後、生きる上でかなり役に立ったので、

まあそれはそれで良しとしています。

「砲丸投げ」ではインターハイまで行けるレベルになったし、
応援団もできる(笑)

家事全般 何でもこなせるし、
料理なんてその辺の女性より上手いと思う…

(もはや家事はやるのが普通… 家事メン?料理男子?
そんなの40年以上前から普通にやってるわい!)

なんてったって、一番良かったのは、

「時間の合間を縫って効率的に動く術」

が自然と身についたことでしょうか?
(あと、適度に手を抜く術も。(笑))

下積み時代を意外と楽しく過ごせたのも、
そのおかげかもしれません。


若い時の苦労は買ってでもせよ…

これ、ホントかもしれませんね。
私の場合、ほとんどが「押し売り」で、
いらないものもありましたけど…(笑)

                               つづく

                            August.20.2014 店主


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残念ながら中学時代の写真がなかったので、
代わりに小学校高学年の頃ので失礼します。 

これ たぶん「お祭り」の時 撮ったものですね。
(もちろん私服ではないですよ(笑))

いや~、笑っちゃうくらいの「おデブちゃん」でした。


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