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No.25 貧乏が教えてくれたこと 

Posted by Cafe Bleu on   0 

こんにちは。店主です。
このコーナーでは、私が美容師になるまでの紆余曲折
などを綴っています。

ためになるかどうかは ちょっと謎ですが、
興味のある方はお暇な時にでも読んでみてくださいね。
(そういうのいいや・・・って方は遠慮なくスルーしてください。) 

最初から読みたくなった方は「もくじ」からどうぞ。




No.24 からのつづきです。

あの忙しすぎる日々も過ぎ去り、
デパート内のショップに「春物」商品が並び始めた頃 ・・・

気づけば 入社して1年の月日が経とうとしていました。

気持ち的にも 肉体的にも
随分と落ち着いてきていましたが、

手荒れの状態はなんら変わらず・・・

ただ、痛み自体に鈍感になり、
痛くて悲鳴を上げるほどではなくなりました。 

その頃には、パーマの試験も
やっと「最終段階」まで来ていたと思います。

でも今回は、それとは違う話です。
今回は、その頃の食生活の話など・・・・

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当時の生活はとにかく貧困極まりなく、
「ど貧乏」なんてものじゃありませんでした。

以前、学生の頃の話を書きましたが、
その当時住んでいた「間借り」の部屋の家賃は

¥15.000-・・・

風呂なし・共同トイレ・4.5畳ひと間・キッチンは0.5畳の出っ張り程度・
お湯は出ず水だけ・押入れは隣と半分ずつ・電話は大家さんに繋いで貰う)



・・・そんな部屋に1年間住んでいまして、
就職後「新宿」に引っ越しました。

(ええ、あの真っ黒事件のあった部屋です)

次の部屋は自分で決めたので、
少し「グレードUPした~!」と思っていましたが、

なんせその頃 世はバブル景気…
世の中的に言えば かなりグレードの低い部屋でしたが、
私にとっては快適そのものでした。

だって、6畳一間にちゃんとトイレが付いているのです!
共同ではありませんよ!(笑)

それにキッチンは2畳もあるし、
電話も初めて引きました・・・

今の時代は携帯電話があるので
ピンとこないかもしれませんが、
当時は自分専用の回線が引けるなんて凄いことなのです。

(いや、ある意味 普通か…)

ただし・・・
家賃が上がりまして

「¥21、000-」 安い! いえ高い!!!(笑)

当時の私には、
とても高価な決断でした。¥6.000アップはキツかった・・・

その物件は、新宿と言っても「北新宿3丁目」、
山手線から中央線に乗り換えて一つ目の
「大久保」駅近くにありました。

今は「韓流の街」になっていますが、
当時から韓国料理や中華料理・タイ料理
インドネシア料理など、

異国文化が多く見られた場所でした。
残念ながら行かずに終わりましたけど・・・

だって、そんなお金ありませんよ!
そんな家賃で「ヒーヒー」言っている人が、
行けるわけないですよ!(笑)

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話を戻して・・・

以前書いたように、私の給料は、
書面上で¥80.000-、
手取りで¥72.000-

そこから家賃¥21.000を引くと、残りは¥51.000-
交通費が¥8.000-ぐらい、ローンの支払いが¥35.000-ぐらい
(ちなみに水道光熱費は月に1万円も掛りもしません、
ほとんどいませんから(笑))

残金は約¥2.000-前後 

・・・(笑)おや?「ローンの支払い¥35.000-」ってなんだ?


前にも書きましたが、
青山や原宿界隈で働くわけだから、
身なりもそれなりにしなくてはいけないわけですよ。

ローンの支払い…それは、赤いカード(笑)で
コムデギャルソンやY’sの服などを
買った代償でございます

…とほほ。

金も無いのに分不相応な高価な物を買っていたら、
間違いなく削られるのは 

「 食費 」しかないわけで・・・

¥2.000-前後の金なんて
あっという間に無くなります。 

とにかく食べることさえ満足にできない。
そんなの日常でした。

それは我慢とかの次元ではなく、

「飢え」 に近かったですね(笑)

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当時、店には「仕出し弁当」なるものが
毎日届けられていたのですが、

当然 新人の私たちは 金が無いので
それさえも口にすることができませんでした。

注文していたのは、技術者の一部の先輩方だけ。

さて、昼ぐらいになると
先輩方が一人一人と食事に入ってくるのですが、

「売れっ子」の先輩はいつも昼食が
夜食になってしまっていました。

昼時間に入れる人は、
間違いなく朝 食事をしてくるので
昼食をそれほど食べないことを皆知っていました・・・ 

さあ、そこからがチャンスなのです!

先輩が食事に入ると、
何も用が無いのにバックルーム付近を徘徊するのです。

すると、食事をしていた先輩が一言。

「余ったので良ければ食べる?」


先輩方も同じ境遇を経験していますからね、
下っ端への温情なのですよ(笑)

ただし、それは早い者勝ち!

昼時間…
それは、先輩達の「食べ残し」をめぐって、
下っ端の醜い「争奪戦」が繰り広げられる時間帯なのです。

(ハイエナか?ハゲタカか?)

自分の仕事を同僚に振っておいて、
バックルーム付近に近づけないようにして、
先輩に声を掛けてもらえるタイミングを常に見計らう…

なんて常識です。

「あっちで店長が呼んでたよ」な~んて作戦もあり(笑)

巧妙な手口で相手を蹴落とさないとね…

だって下手すれば、
その残飯がその日一日の唯一の食事に
なりかねないほどなのですから。

「食」の競争は熾烈なのですよ。(爆笑)

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当時の私は、
給料が入ると「食パン」の10枚切を買って来て
冷蔵庫で冷凍してました。

そしてそれを昼食に一枚だけ食べるのです。
それがその日一日の唯一の食事でした。

だから、先輩が一緒に食事に入ってくれると
それはそれはラッキーです!

向かいの席に座った先輩が、
見かねて「おすそ分け」をくれるのです。

「おまえ、それだけ?味もなしなの?」って・・・(笑)

とにかく食費を安く済ませるためのことは、
ありとあらゆる事を考え抜いて暮らしていました。 

前にも言いましたが、「先輩に好かれること」で、
多少の「食」は確保できますからね。 

やっぱり先輩の言うことは「絶対」なのです(笑)


なんだか「売れない芸人さん」みたいな生活でしたよね。
でも、TVでよく聞く話はまだまだ甘いのですよ。

実はそれ以上の話もありますが、
それは書くと犯罪になりそうなので、
とりあえずは省略させていただきます(爆笑)


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そうそう、「有名店」に勤めているというだけで
思わぬ利点もありました。

「ディスコ」のタダ券をよく貰えたのです。

当時のディスコって(クラブじゃなくてディスコねdisco!)、
無料招待券をよく配布していたのですよ。

特に有名ブティックとか有名美容室なんかに
配っていたらしく、

いちおう「有名美容室」勤務の私も年中もらえたのです。

(業界のオシャレさんを たくさん集めるのが目的
だったと思われる…)


それさえ持っていれば「タダ」で入場できるので、
常に持ち歩いて便利に使わせてもらってました。 

何故ディスコ?と思うかもしれませんが、
当時のディスコって「食事フリー」なとこが多かったのですよ。

ナンパとかでなく、
とにかく「食べる」ことしか考えずに向かうのです(笑)

ただ、その当時のディスコは、
男が一人で入ることができない店も多かったし

ジーパンも禁止で
ジャケット着用が義務な所も多かったんですよね。

そのためにも、「ちゃんとした服」が必要だったわけです。

入り口付近で、女の子同士で入ろうとする子がいれば、
声をかけて一緒に入ってもらってね… 

入ってしまえばこっちの勝ちですから(笑)


よし、「ご飯」はすぐ目の前! 色気より食い気!

食うためだったら、いくらでも話術は磨かれるのです(笑)


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給料日に同期で集まって「ご飯」を食べに行くのも
楽しかったですね~♪
その時に食べる「回鍋肉飯」の味は格別でしたよ。

一ヶ月に一度、真っ当なルートでご飯が食べられる。
そんな至福のとき・・・

「これだけが楽しみで生きている」

といっても過言ではないくらいにあれは美味かった!
・・・今食べると、大して美味くもないのですが(笑)


そんな食生活で、毎日あれだけ忙しくて・・・

今では考えられませんが、
当時と今では体重が15~20kgは違います(爆笑)

ウエストも4~5インチは違いますかね。
ピークの時は27インチが履けたのですから・・・

あ、7インチも違うか・・・


貧乏でしたが、それが一番の財産です!
貧乏は頭を使います。
貧乏は夢を与えてくれます。
貧乏は前しか見なくなります。
貧乏は・・・

とにかく、
生きることを学んだのは「貧乏」だったから
かもしれません。


服がほしい! 
飯が食いたい!
いい部屋に住みたい!
女にモテたい!
い、いつかは車もほしい!

そのためには、

早く上に上がらないと

    何も始まらないのです。



仕送りも無く、貯金もない、彼女も友達もいない
(同期はある意味 敵ですから)、

それなのにどうして前を向けたのか?
いまだに疑問ですが、

今の自分があるのは間違いなく
あの頃の「貧乏生活のお陰」です。

今の若者はハングリー精神が無い・・・

などという言葉をよく聞きますが、
シャレにならないくらいの「ハングリー」だったからこそ、

強い精神力が宿ったのかもしれませんね。

もし初任給で18万円も貰える時代だったら、
今みたいな自分にはならなかったのではないかな?(苦笑)

(だからって、決しておススメはしませんが)


「貧乏」は、悩んだり悔やんだりすることではなく、
前を向く「チャンス」だったのかもしれません。 

今でも あの頃のことを思い出すだけで勇気が湧きます。


そして屈折、ん十年(笑)、
今はそこそこの暮らしが出来るようになりました。

人間やればできるものなのです。
諦めなければ きっと、大概のものは手にすることができますよ。

・・・長いこと「悲壮感」の漂う話ばかりで申し訳ありません。
でも まだまだ貧乏はつづきます(笑)

                              つづく

                           September.19.2014 店主

DSC00972.jpg

これは入社3年目くらいの時の写真です。

長すぎる貧乏生活のおかげで、人生で一番痩せていました。
いや~シュッとしてるなぁ・・・
あの小デブなお坊ちゃんはどこへ・・・(笑)

まあ、この頃から比べたら20kgほど太ってしまいましたが、
その分 知識も経験も比例して増えたので良しとしよう!


◆ オマケ ◆
先日、フロント係が書いたように、懐かしの地をまわってきたのですが、
私の働いた店があった場所が、今は人気の「パンケーキ屋」になっていて
びっくり。 すごい大行列でまたびっくり。 


DSC01365.jpg

ハワイ発「Eggs 'n Things /エッグスンシングス 」日本一号店だそうです。

ここね、上の写真で若かりし日の私が立っていた 同じ場所なのですよ。
外観は変わってますが、建物自体は同じなので、なにやら懐かしいです。
(おお、足下のタイルだけは昔のまま!)

それにしても、パンケーキに1000円も出せないのは
貧乏が染みついてしまっている証ですね・・・(苦笑)

行列に並ぶ若者たちを見て、「いい世の中になったもんだなぁ・・・」
などと思う午後でした。


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