OUR FAVOURITE SHOP

エピソード・ゼロ 1

Posted by Cafe Bleu on   0 

こんにちは店主です。

お暑うございます。
毎日猛烈な暑さですね。みなさま体調はいかがでしょうか?

さて、先月から唐突に始まった
「こんな私に誰がした?」は いかがでしょうか?

「こんなの誰か読んでるのかな?」と、
最初は半信半疑でしたが、

最近は お店にいらっしゃるお客様から
「あれ面白いですねー、毎回楽しみですよ。」
などと、言っていただく機会も多くなり、

ちょっとやる気になっている私です(笑)
(最初から読みたくなった方は もくじ からどうぞ。)

いろいろな意味で、
美容師という仕事をご理解いただければ幸いなのです。

-----------------------------------------------

さて、今回からしばしの間、『夏休み特別企画?』として、
美容学校に入る前、「まだ何者でもなかった頃の私」
の話など書いてみます。

長い夏休みのヒマ潰しにでもなれば幸いでございます(笑)


この回からは、美容と全く関係ない単なる昔話なので、
そういうのいいや・・・って方は「マジで」スルーしてくださいね。




<その始まりから>
                       
私は、1964年(昭和39年)12月15日 岩手県で生を受けました。
ちなみに いて座のO型です。

この生年月日、なぜか 俳優の「高橋克典」と全く同じなのです。
(ちなみに血液型もいっしょ)

どこか共通する所がある気がするなぁ…
もちろん外見以外でね(笑)
(よく間違われますが、高橋克実ではありませんよ。あしからず。)

ちなみに同い年の有名人は…
稲葉浩志・近藤真彦・堤真一・阿部寛・椎名桔平・岸谷五郎・鶴見慎吾・島大輔
温水洋一・内村光良・恵俊彰・ヒロミ・田中 裕二・江原啓之・テレンスリー
キアヌ・リーブス・薬師丸ひろ子・高島礼子・麻生祐未・山口智子・三原じゅん子
杉田かおる・YOU・桐島かれん・いとうまい子・つちやかおり・・橋本聖子・花田景子

脚本家の佐藤嗣麻子(この人とは小中学校のクラスメイトでした。「アンフェア」の脚本とか書いてたらしい)

まだまだ現役感たっぷりな方ばかりですよね(笑)



なにしろ「東京オリンピック」が開催された年ですからね、
それに合わせ、新幹線や高速道路などが整備され、
戦後日本のめざましい復興・発展を世界にアピールした年でもありました。

高度成長期の真っ只中で景気は右肩上がり。
一番上向きな時代だったのかもしれません。

ただ、その時代の教育や指導は、軍隊の名残のスパルタ式。
体罰は普通でした。

教科書も一番ぶ厚い頃だったのではないでしょうか?
いわゆる「詰め込み教育」まっただ中でした(笑)

古く良き昭和の恩恵も受けましたが、同時に軍隊的な発想の教育
受けた世代ってことでしょうか?(笑)

受験戦争、不純異性交遊、校内暴力…そういうの始まりの頃、
「金八先生」が ど真ん中の世代でございます。 

今はもう死語ですが、「新人類」なんて呼ばれた世代ですかね?
あ、忘れてた「バブル世代」でもあります。
前の記事にも書いたように、私はあまり恩恵は受けてませんが。)


私が育った少年時代は、とにかく何もかもが「ザ・昭和」・・・

近所のおじちゃんやおばちゃんに 訳も分からず怒られた時代。
(多分、今の私より若いと思うけど・・・笑)

パンを買いに行くとカビが生えていて
「おばちゃん!これカビ生えているよ!」と言うと、
何も言わず「交換」してくれた…それだけ。

それがごく当たり前の日常。
(誰もそんなことで訴えたりしない)
賞味期限なんて存在しない。(自分の味覚が勝負!)

小学生ぐらいから「焼肉・食べ放題」が流行って大人気だったが、
肉が固くて食えたもんじゃなくって、それでもむさぼりつくように食べた。
「回転寿司」が流行り出し、何皿積み上げるか競うように食った。

高度経済成長で景気は右肩上がり、市場には欲しいものが溢れ、
とにかくアメリカに憧れていた。
(いまだにその名残があります・・・「アメリカ製」という言葉に弱い)

ボンネットバスがリアルで走ってた。
SLもリアルで見たことがある!
地元では普通の電車もSLも、何でも「汽車」と呼んだ。

・・・なんか、あるある話になってしまいました(笑)

地方と都市では凄い格差があったので、あるある話も
同感できないかもしれないけれど、


とにかく 「The 昭和」 でした。


------------------------------------------------------

私の幼少期は、
とにかく「母親」の存在が薄かったように記憶しています。

おふくろは「美容師」。
当時 4軒もの店を切り盛りしてバリバリに働いていました。

ましてや私、はじめに書いたように3人兄弟の3人目。
長男には手をかけても、3番目には・・・お分かりの通り(笑)

私は生まれてすぐから「お店」の片隅に置かれ、

お客様の「おもちゃ」 になっていたようです。


お客様や従業員が入れ代わり立ち代わり、
私を抱き・おむつを替え・その成長を見守る。
そんな感じです・・・

実は

私が生まれる2年前、母のお腹の中にもう一人居たことが
あったらしいのですが、近所の火事で焼け出されたのが原因で
「流産」してしまったそうなのです。

生まれてくるはずだった その子はどうやら「女の子」だったらしく、
そのせいかおふくろは女の子への憧れがすごく強く、

「どうしても女の子がほしい!」という思いから
私が生まれました。・・・

その時「女の子」が無事生まれていたら、
私は存在しなかった!
などと言われたこともありましたが、

私にとっては「知ったこっちゃない!」話です。
傷つくこと考えろ!と言いたいですが、
なんせ「昭和」ですからね…(笑)

おかげで2~3歳頃まで、

「女の子」としてスカートをはかされ
赤い靴まで履かされていたようです。

今思えばエラく迷惑な話ですが、
4歳になった頃から「私の好み」によりやっと赤い服を
着せられなくなったようです。

でも、久々に来店したお客様は驚きですよ!!!

「あれ~?男の子だったの~?びっくり~!」
と言わせるほど、私は「かわいかった」のでしょう(爆笑)


そんなこんなで、生まれた時から 店のお客様やら
従業員やらに囲まれて育ったせいか、

全く人見知りしない性格 になってしまいました。

それに、女性に対しての偏見みたいなものも小さい頃から
なかった気がします。
「女の子」の家に遊びに行くことも多かったですし…

ほかの男子からは白い目で見られていましたが、
全く気にすることなく、普通に女の子の家に堂々と出入りしていました。

実のところ、その理由として・・・

男の子の家と違って、
「女の子」の家に遊びに行くと「おやつ」が出るのです。
しかも、見た目も美味そうで上品なやつ。

あと、男ばかりの我が家と違って、
家の中がなんだか「華やか」なのだ、女子が居る家って。
ピンクとか花柄とかがそこかしこにあって殺伐としていない

それに、遅くまで遊んでいても怒られないのですよ。
怒られたとしても、女の子のいる家のお母さんって、言い方がソフト

女の子の家はなんか違うなぁ居心地いいなぁ。。。
と、子供心に思ったもんです。

今になって思うと、子供の頃の私はそうとうな「策士」ですな。
薄っすら「計算」して動いていた事を思うと、

「おぬし悪よの~」と代官様の声が聞こえそうですよ(笑)


-----------------------------------------

さて、
この話を書き始めてから、いまだに一度も出てこなかった
私の「親父」の話です…

私の親父は案の定、絵に描いたような「髪結いの亭主」でした。

例えば・・・

・家に寄りつかない。
・自分の給料は自分のためだけに使う。(いちおう公務員)
・日曜日もほとんど自宅には居ないから、一緒に出掛けた記憶がない。
・食事を一緒にとった記憶も薄っすらしかない。
・家で見かけると、ほとんど酒を飲んで暴れている・・・(今で言うDV?)


兄弟3人は、おふくろのお蔭で大きくなりました。

当時のおふくろは、間違いなく親父の給料の3倍は稼いでいたので、
お金に困ることはありませんでしたが、
おふくろの愛情は「別な形」でしか受け取ることができませんでした。

(当時、美容師は数が少なかったので、俗に言う「左団扇」
の生活だったみたいです。子供の頃は意外とお坊ちゃんだったのですよ。)


・・・そんな生活を見て来たから、「反面教師」なのかな?

自分の家には無かった

「普通」というものを求めていました・・・

「普通が分からないまま」18年の歳月が過ぎ、
その後、妻に出会って
本当の「普通」を知ることが出来ました。

普通に育った方にはたぶん理解しがたいことでなのでしょうが、
普通って、意外と難しいことなんですよ。


私は美容師の息子として育ち、
世間からは「変わっている家」「変わった人の子」
と思われ続けていました。

でも、「変わっていること」はダメなことではなくて、
「特別な事」であって、
色々なことは容易く変えることができるのだと信じています。

変える気力が無ければ何も変わりませんし、
「逃げていたら」一生そのままなんですよね。


今でこそ美容師の仕事は認知されていますが、
当時は 一番下の仕事 の意識が強かったゆえ、

いまだに「年配の人」に職業を聞かれたりすると、

「あ~パーマ屋か~」

で 終わりますからね・・・
全く相手にされていません。 そんなものです。
空気で分かりますよ。

あ、話がずれました(笑)

幼少期にあった出来事の記憶はほとんどありませんが、
この後「凄い事件」があったことだけは
しっかり記憶にありますので、

また別で書くことにします。

                                              

DSC00999.jpg

おふくろと、私。(たぶん)

白黒写真が「The 昭和」でしょ。(笑)
実は私の手元にある数少ない写真の一部です。
(カミさんが実家に行ったときに もらってきたらしい。) 

あらためて眺めていたら、
おふくろがやってた「この店」の中にあったドライヤーの
色まで思い出しました。 
あ、ここに「電髪」の機械が置いてあったなぁ。とか。

小さいころの記憶って、部分的に鮮明だったりしますよね。


                              まだまだつづく

                               August.13.2014 店主

関連記事
Cafe Bleu

Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit, sed do eiusmod tempor incididunt ut labore et dolore magna aliqua. Ut enim ad minim veniam, quis nostrud exercitation.

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する